大森寺の由来

江戸時代から森ケ崎海岸に近いこの地には、海難横死者たちの無縁塚がありました。慶応四年(1868)の船橋の戦いに敗れ、漂着した幕臣の遺骸もここに葬られたのです。

大林四十世の日元が、明治三十八年(1905)に大林寺外堂宇の説教所として、題目堂森ケ崎教会を建立。地元各宗派の信徒の協力によって護持されました。

昭和二十二年(1947)、当時二世の日善のとき、日蓮宗大森教会となり、四世の日立が昭和四十年(1965)、堂宇を再建。昭和四十六年(1971)、大森寺と改称、大森結社(8講中)の事務所を兼ねたのです。

寺宝蔵品として、「木造日蓮坐像」は、もと千葉県夷隈群熊野原妙光寺にあった祖師像で、妙光寺所蔵の「本祖師像縁起」(寛政五年、1793)によると、魔訶一房日印(1264~1328)作と伝わります。様式的には近世初期の姿をしており、数回にわたる修復がおこなわれています。

また、木造日蓮坐像(高さ7.5cmの像)には、漂着仏伝説があり、漁師の網にかかり波除祖師として、海苔漁業者に信仰されてきました。